前回のつづき・・・
B市内からホテルに戻ったのが深夜2時過ぎ・・・・
そこから最終の荷造りを行いベットに入ったのが3:30。
起床予定は5時!
少し横になり仮眠を取り、虚ろな状態で5:30にホテル出発。
空港へ向かう。
この空港で国内線は初めてだが時間が少し有るのでラウンジでも仮眠を取る。
定刻に飛行機は出発。
1時間20分で目的地に到着。
空は真っ青!いい天気です。
あつそぉ~~~~~~~~~~~~
小さい空港だけど一応国際空港である。
プライベートジェット機が、何機も停泊していた。
到着ロビーも狭く人でごった返してる。
ホテルからの迎えの車を探し、無事に宿泊先のホテルに向かう。
町並みが本土の海の近くの風景に非常によく似ている。
島なので目的地のホテルまで大きな山越えを3回はする。
物凄い急勾配で大きな荷を搭載したトラックは、なかなか坂道を上がらず大渋滞を引きおこしていた。
だからだと思うが50ccクラスのバイクやスクーターが多い。
スクータータクシーには驚かされた。
ライダーの後ろに2名お客が乗ってる。
ご存知か思うが、ここのタクシーと呼ばれるのは日本の軽トラックを改造したものである。
メーターはなく全て交渉して料金を決める。
約1時間くらいでホテルに到着。
いい香りの花の首飾りを掛けてもらった。
ちょっと旅行気分!
でも目的を果たすまでは、ウキウキしていられない。
チェックインを行なってると小象がエントランスへ散歩に来ていた。
なんとも長閑である。
このホテルも観光スポットからは外れているのでゲストは長期滞在の欧米人が駐留しているようなホテルである。
打合せまで時間が有るのでプライベートビーチに出てみた。
ここであの大惨事がおきたかと思うと胸が痛くなるような重苦しい思いが私を襲った。
町は見事に復興を遂げていたが、あの惨事のTV映像が頭からこの数年離れたことはなかった。
被災された方々をこの手で向かえ遺族の待つ自宅や式場に送った日のことも一生忘れることは出来ないだろうと思う。
笑顔でこの島を訪れた方々は、一瞬で大きな波に飲み込まれた。
飛び交う悲鳴や叫び、目をつぶるとその光景が感じられる。
自然と海に向かい私は両手を合わせていた。
熱心な仏教徒ではないが、小さな頃から祖父母に言い聞かされ躾けされてきたので自然と手を合わせてしまった。
無念の帰国をされた方々や未だにこの地で眠っている方々への哀悼の意である。
この儀式を行ないたくて災害以来、ずっと胸に抱いてきた思いでもあり私の目的である。
タイトなスケジュールをこなして何とか1日だけでも慰霊祭を行ないたくてここに来ました。
その当時、ご遺体とは別々に帰国されたご遺族様たちの現地での様子も聞いていた為、
お子さんを泣きながら抱きしめて放さなかったお母さん、
奥様の結婚指輪を肩身とし残したかったご主人、
年若くこれからの人生が沢山あったお嬢さんのご両親、
様々な人間模様や背景がありました。
私が担当させていただいた方のご主人様は、
現地で被災された奥様に会われていて、奥様がどのような状況かはよくご存知でした。
特にこの奥様の到着時の状況は良くなかったので精一杯の修複や処置で手当てさせていただきご自宅に搬送しました。
寒い1月のことで雪が歩道脇に残っていて車のタイヤが硬く凍った雪を踏む音を今でも覚えています。
そのご主人様は棺の窓を開け奥様に向かって
「お帰り、綺麗になったね。よかったね。」
と声を掛け、その後私に何故奥様がその場所を選ばれたかお話してくださいました。
鳥の写真を取るのが趣味だった奥様は過去にも色々な場所で写真を取り、
賞を取られたこともあったそうです。
その悲しみを深く話しながら私はもらい泣きをしてしまい、ご主人と一緒に泣いたことも思い出されます。
最後に
「本当にありがとう。」
「現地では思い通りに成らないことも多かったが、最後に妻を皆さんにあわすことが出来るようにしてくれて本当にありがとう」
と深々とお辞儀をして、感謝の意を述べていただいたことが昨日のことのようです。
今夜、少し夜風が吹き始めた頃に島内の目的地へ移動します。
慰霊碑があるというのでその場所で遅まきながら慰霊祭を行うと決めていました。
街角で被災時ののDVDが流されていました。
観光客の多い中、あまり大げさにすると目立つこともあるので
こっそりとお花をたむけて自分自身の気持ちにある種のケジメをつける事と
ご逝去された方々への哀悼と残されたご遺族、ご関係者様への思いをこめて密やかに儀式を行ないました。
改めて、
「心からご冥福をお祈りさせていただきます」
そして念願をはたした私は明日、帰国の途に着きます。
3年前にはこの思いが果たせなかった。
スタッフのみんなの協力に感謝します。
ありがとう。
特殊出入国管理主管