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「72時間」

随分長いことご無沙汰してしまいました。

永年の疲労からか昨年の夏以降、痛むようになった肩の具合が悪く、

業務でPCを使用する頻度も多いことから夕方近くになると腕もだるくなる為、

中々ブログまで辿り着けずにいました。

今日は、土曜日で比較的静かな日でしたので現在15:15ですが、書き込みを行なう気力が沸きました。

私の書き込みは怒りや喜びなど感情移入することが多い為、書き込み終わるととても疲労感を感じます。

でも・・・がんばろう。

半年近くご無沙汰だったので沢山の出来事があり、なにから書き込むかとても迷います。

2月の訪タイでは確か・・・書き込んでいたのでその後からかしら・・・

えっと・・・3月は・・・

そうそう、2月に慰霊祭を行なった地の夕焼けがあまりにも美しかったので

入社5年目の社員にご褒美旅行をプレゼントしたんだっけ・・・・

ついでに我が社のご老公もダイビングの資格を取るとかで、男2名でパラダイスに行ったんだった。

今後、骨を埋めてもらうには馬に人参ってところでしょうか?

彼らが楽しんでる間に・・・

そうそう、大変な案件があったんだ!!

前にも似たようなケースがあったけど、臓器移植のため24時間以上かかる地まで遥々向かい、

手術を前にご逝去された方の帰国をお手伝いしました。

全くのプライベート事案で現地との間をアレンジする人も無く、ご家族が困り果てていたケースでした。

諸官庁担当官より日本とは昼夜逆の時間帯である国の電話番号ひとつだけ聞き、

現地へ連絡を開始するのは深夜の0時過ぎから毎日。

3日間不眠不休でした。

お国柄判ってはいるけれど英語が通じない・・・・・・

片言の英語しか話せないドクターとのやり取り。

救いの神として現地国にある日本大使館領事部の方が同じような事案をお手伝いした時の担当者でもあり、

また、私を覚えていてくださったおかげで何とか、アレンジを行いました。

ドクターがご遺体国際輸送を知らない現地葬儀社に依頼をしていたので日本までの移送スケジュールを組み立て直し、

全てを仕切り直しした。

勿論リスク・マネージメントを考慮して・・・

その後、ロサンゼルスまで移動していたお嬢さんともコンタクトを取れた。

全てのやり取りを日本で首を長くしてお待ちになって入るご子息にも報告しながらの業務です。

日本時間の日中は国内業務を行い、午前0時からは南米地域とのコンタクトを図りの毎日です。

フライト前日には流石に明け方までの連絡事項となり、フラフラになった事を思い出しました。

ご家族や関係者が当時はどうなることかと思ったけど、

自宅に連れて帰ってくれたと喜ぶ姿を拝見すると苦労は吹っ飛びます。

そうそう、今回は今年入社の帰国子女が随分OPで奮闘してくれました。

新人のやる気は、新鮮でよいものです。

おかえりなさい。

特殊出入国管理主管

「最北端の海に思う」

先週末、案件が立て込んだ中で最北端の搬送を受け持つことになる。

ありがたいことに日にフライトが1便しか運行していない為に一泊できる。

翌朝の案件もあるが、業務が終了し6時間かけてJRで移動しても空港への到着は真夜中となり、

搭乗不可能な為に目的地近くの宿を予約できた。

久しぶりの訪問である。

前回来た時、私が搭乗する機材は天候不良の為に着陸することが出来ずに到着空港上空で長時間旋回していた。

何度も着陸を試みてくれた機長であったが天候回復にならず、仕方なく別のA空港へ着陸を余儀なくされた。

その後、航空会社がチャーターしたバスで目的地へ遠路遥々長時間、移動したという苦い経験がある。

そして夜の9時過ぎに市内に入り業務を行った。

更にホテルへ到着した頃は夜更けで夕食を取りようにも、どの店も既に閉まっており大変な思いをした、

という記憶が鮮やかに蘇る。

今回の訪問は何年かぶりだが、

やはり一面、雪・雪・雪、

気温は、マイナズ2度、飛行機を降りたときから寒い~~~~~~~~~~

しかし既に気持は業務モードなのでそれほど苦にも思わず、いざ移動開始。

東京から付いてきてくれたぁ~とご家族も親族も大喜びで歓迎してくれた。

人情深くていいなぁ~~~~~

お父さんからも大切なお迎えを頂き業務終了。

現地でも奥様が色々と報告や説明を伺ったらしいが、

殆ど頭に入らず的確な回答が出せないまま帰国したとの事。

全てご子息がテキパキと仕切ってくれたそうな。

頼もしい限りである。

最愛のご主人を見送ったが、立派なご子息が付いているので安心です。

丁重にご挨拶し失礼しました。

外は淡雪が降っており叙情的な気分になる。

海岸線を延々と走りホテルに到着。

明日も朝から仕事があるので早めにバスタブへお湯を張り、冷えた体を温めながら

恒例のプシュ!

で本日もお疲れ様でした。

このあたりも若い方は学校を卒業するとみんなこの地を離れているようです。

昔は5万人以上いた人口が、今では4万人を切るくらい減少したそうです。

仕事が無い。

漁業も衰退。

どこも苦しいのが現状。

甘やかしすぎかな?と我がスタッフの事を考え、反省した出張でした。

特殊出入国管理主管

「おくりびと」「むかえびと」

映画「おくりびと」がアカデミー賞を受賞した。

第81回アカデミー賞外国語映画賞である。

WEB検索をすると何処の葬儀社のホームページも

「おくりびと」現象で営利を絡めアピールしている所が多いようだ。

納棺師の業務をそのように表現することはあながち間違いないと思うが・・・

原作の主人公のような思いで仕事に携わっている方ばかりならまだ良いと思う。

納棺師という尊い業務を行いながら新聞沙汰になるような裏表のある方々は例外である。

私の尊敬する方にも葬儀社の社長でありながら俺は「弔い屋」と称する方がいる。

立派な方です。

葬儀式従事者は「弔い屋」であり「おくりびと」ではないと私は思う。

我々の任務は、

本邦での「むかえびと」

であり

祖国への「おくりびと」である。

特殊出入国管理主管

「むかえびと」の出張6

前回のつづき・・・

B市内からホテルに戻ったのが深夜2時過ぎ・・・・

そこから最終の荷造りを行いベットに入ったのが3:30。

起床予定は5時!

少し横になり仮眠を取り、虚ろな状態で5:30にホテル出発。

空港へ向かう。

この空港で国内線は初めてだが時間が少し有るのでラウンジでも仮眠を取る。

定刻に飛行機は出発。

1時間20分で目的地に到着。

空は真っ青!いい天気です。

あつそぉ~~~~~~~~~~~~

小さい空港だけど一応国際空港である。

プライベートジェット機が、何機も停泊していた。

到着ロビーも狭く人でごった返してる。

ホテルからの迎えの車を探し、無事に宿泊先のホテルに向かう。

町並みが本土の海の近くの風景に非常によく似ている。

島なので目的地のホテルまで大きな山越えを3回はする。

物凄い急勾配で大きな荷を搭載したトラックは、なかなか坂道を上がらず大渋滞を引きおこしていた。

だからだと思うが50ccクラスのバイクやスクーターが多い。

スクータータクシーには驚かされた。

ライダーの後ろに2名お客が乗ってる。

ご存知か思うが、ここのタクシーと呼ばれるのは日本の軽トラックを改造したものである。

メーターはなく全て交渉して料金を決める。

約1時間くらいでホテルに到着。

いい香りの花の首飾りを掛けてもらった。

ちょっと旅行気分!

でも目的を果たすまでは、ウキウキしていられない。

チェックインを行なってると小象がエントランスへ散歩に来ていた。

なんとも長閑である。

このホテルも観光スポットからは外れているのでゲストは長期滞在の欧米人が駐留しているようなホテルである。

打合せまで時間が有るのでプライベートビーチに出てみた。

ここであの大惨事がおきたかと思うと胸が痛くなるような重苦しい思いが私を襲った。

町は見事に復興を遂げていたが、あの惨事のTV映像が頭からこの数年離れたことはなかった。

被災された方々をこの手で向かえ遺族の待つ自宅や式場に送った日のことも一生忘れることは出来ないだろうと思う。

笑顔でこの島を訪れた方々は、一瞬で大きな波に飲み込まれた。

飛び交う悲鳴や叫び、目をつぶるとその光景が感じられる。

自然と海に向かい私は両手を合わせていた。

熱心な仏教徒ではないが、小さな頃から祖父母に言い聞かされ躾けされてきたので自然と手を合わせてしまった。

無念の帰国をされた方々や未だにこの地で眠っている方々への哀悼の意である。

この儀式を行ないたくて災害以来、ずっと胸に抱いてきた思いでもあり私の目的である。

タイトなスケジュールをこなして何とか1日だけでも慰霊祭を行ないたくてここに来ました。

その当時、ご遺体とは別々に帰国されたご遺族様たちの現地での様子も聞いていた為、

お子さんを泣きながら抱きしめて放さなかったお母さん、

奥様の結婚指輪を肩身とし残したかったご主人、

年若くこれからの人生が沢山あったお嬢さんのご両親、

様々な人間模様や背景がありました。

私が担当させていただいた方のご主人様は、

現地で被災された奥様に会われていて、奥様がどのような状況かはよくご存知でした。

特にこの奥様の到着時の状況は良くなかったので精一杯の修複や処置で手当てさせていただきご自宅に搬送しました。

寒い1月のことで雪が歩道脇に残っていて車のタイヤが硬く凍った雪を踏む音を今でも覚えています。

そのご主人様は棺の窓を開け奥様に向かって

「お帰り、綺麗になったね。よかったね。」

と声を掛け、その後私に何故奥様がその場所を選ばれたかお話してくださいました。

鳥の写真を取るのが趣味だった奥様は過去にも色々な場所で写真を取り、

賞を取られたこともあったそうです。

その悲しみを深く話しながら私はもらい泣きをしてしまい、ご主人と一緒に泣いたことも思い出されます。

最後に

「本当にありがとう。」

「現地では思い通りに成らないことも多かったが、最後に妻を皆さんにあわすことが出来るようにしてくれて本当にありがとう」

と深々とお辞儀をして、感謝の意を述べていただいたことが昨日のことのようです。

今夜、少し夜風が吹き始めた頃に島内の目的地へ移動します。

慰霊碑があるというのでその場所で遅まきながら慰霊祭を行うと決めていました。

街角で被災時ののDVDが流されていました。

観光客の多い中、あまり大げさにすると目立つこともあるので

こっそりとお花をたむけて自分自身の気持ちにある種のケジメをつける事と

ご逝去された方々への哀悼と残されたご遺族、ご関係者様への思いをこめて密やかに儀式を行ないました。

改めて、

「心からご冥福をお祈りさせていただきます」

そして念願をはたした私は明日、帰国の途に着きます。

3年前にはこの思いが果たせなかった。

スタッフのみんなの協力に感謝します。

ありがとう。

特殊出入国管理主管

「むかえびと」の出張5

翌朝

少しゆっくりし荷造りを行い午後の予定をこなす。

明日の朝は国内便に搭乗する為、5時起きしなくてはならないのだ。

今日は比較的に楽なスケジュールで、夕方に指定場所へ移動。

「ここは、日本?」

というくらい「掘り炬燵」の和風居酒屋である。

料理も和食、ビールだけ国内産。

てんぷら、とんかつ、太巻き、もずく酢?

参加者の20数名中2名だけこの国の方である。

初めてお目にかかる方もいたが、その方とは共通の知人がいたり、

我々のことを良くご理解いただけている方もいらして話が尽きることなく大いに盛り上がる。

この宴会は何時まで続くのだろう・・・・

と言うくらい盛り上がり、

次回の宴席には、我々も東京から参加する約束もした。

どの方も邦人援護に熱い思いを抱き、ビジネスだけではない暖かさを感じた。

だからこそ我々とリレーショナル・ワークでやりたいんだ、

ともお言葉を頂戴し涙・涙である。

日本で青臭いといわれようが、やっぱり想いを貫いてきて本当に良かったと感じた瞬間である。

この国の葬儀社のH氏も参加してくれており、彼を交えて盛り上がる・・・・・

3時間にわたる宴会も終わり参加下さった方にお礼を申し上げる。

そして、その中の番長格が、

「次行くぞぉ~~~~~~」

との声で移動しました。

B市の夜は長い・・・・・・・・・・・・・

特殊出入国管理主管

「むかえびと」の出張4

前回からのつづき・・・・

次のアポ先へと移動。

3年ぶりに会うクライアントさんですが、彼女は3年前と全く代わらず若くて美しいです。

アジアン調な美人で日本人には見えないかもしれない。

日本で買った「簪(かんざし)」を手渡す。

桜のモチーフの簪(かんざし)で彼女をイメージしたつもりだ。

彼女の下には2名の若手男子が活躍しており今回初でお目にかかる。

業務の話もそうだが、彼女とはこの3年間の溝を埋めるがごとく自分たちの環境や家庭事情などからさわぎに花が咲く。

今夜の会食は何処にしようかと決めかねていたが、

私が行きたかった「ナイト・バザール」に案内してくださるとの事。

どの国に行っても私は市場や屋台などが好きで必ず出かける。

S国B市の市場では「ここで働いても良い」とさえ思ったくらいである。

時間は既に16:30、

彼女と別れシャワーを浴びに急いでホテルに戻った。

急いで支度をし、公共交通機関を乗り換え待ち合わせ場所に向かう。

夜も暑いが、蚊が凄い。

在住されてる方は刺さないのに私ばかり何箇所も刺され、おいしい食事どころではない。

かゆくてかゆくて市場の薬局で虫刺されのクスリを購入し、軟膏をつけながらナイトバザール散策した。

初めて中国の市場で価格交渉を行い値切りの面白さを味わった経験があるが、

今はいちいち値切るのがめんどくさい。

めんどくさいなら買わないが一番!

雰囲気を味わって楽しんだ夕食会でした。

また、明日の晩お会いしましょう!

明日も夜が長そうなのでホテルに戻り就寝。

特殊出入国管理主管

「むかえびと」の出張3

あっという間に朝、

オンコールが鳴り止ます。

東京は既に10:00過ぎで案件の連絡が鳴り止まないとかで確認の電話が鳴り響く。

なんとか、仕切り終えて本日のアポ先に出向く。

完全な二日酔い。

最後のシャンパンだ!上司が調子に乗って頼んだシャンパンが、悪酔いさせてる。

テンションが低いまま、レクチャーに突入。

冷や汗も出てきたが、大切な伝えたい内容には熱心に手を抜かず話を続けさせていただいた。

ご特殊出入国を経験されたことがあっても自国では葬儀社が動くし、

死亡から安置までがどのように動くのか?

誰が介入するのか?

不明な方が多かった。

細かくお話させていただき2時間のレクチャーが終了。

そして質疑応答。

また次回お話しましょうと皆様方と堅い握手を取り交わし失礼しました。

二日酔いなのに地下鉄の駅まで30分近く暑い中を移動。

不機嫌さは絶好調!

市内中心地でランチを取ることにするが、暑さと二日酔いで食欲なし。

水っぽい果物を口にして出るのはため息ばかり。

このホテルのウェートレスがいきなりそばにやってきて

「貴方はこの国スターに似てる」

と何度も笑顔で言ってくれたおかげで少しは笑顔を取り戻し(そうとう単純?)、

いざ、次のスケジュール先に向かう単純な自分であった。

本日2件目は、各国の大使館が立ち並ぶ場所にある。

「ようこそ」で出迎えてくださり、少し元気を取り戻した私はまた熱く援護活動を語ってしまう。

既に我々の名や実績をご承知くださっているため、話も早く共通の友人もいることで話は盛り上がる。

また、夜お会いしましょうと小一時間ほどで失礼させていただく。

すぐに次の目的地へと移動する。

つづく・・・

特殊出入国管理主管

「むかえびと」の出張2

翌日

ホテルのロビーで今回のスケジュールに多大なお手伝いを頂いたW氏と待ち合わせ。

彼は、この地に来て16年過ぎたそうです。

現地語も考え方もこの国の人になりつつあるらしいです。

素晴らしい方です。

さてさて、W氏とご一緒する場所は何年も邦人援護にご協力を頂いている葬儀社兼送還会社のT社です。

あのスマトラ沖地震と津波により大勢の被災者がご逝去された件でも連携して業務を行った会社です。

既に何件か、日本からの送還にもご協力いただいており、

我々とパートナーシップが確立されています。

タクシーを利用し、少しゴミゴミしたストリートを歩きながら目的地に到着しました。

既にお目当てであるT社の代表 H氏は通りの表で我々に手を振っています。

前回の訪問時には彼が忙しくて会うことが出来なかったので今回はとても会える事が楽しみでした。

思った以上に良い方で満面の笑顔で迎えてくれました。

奥様も紹介いただきましたがとても美しいアジアン・ビューティーです。

過去の案件の話や棺、梱包、防腐処理などお互いのお国事情を交えて情報交換を行い、

今後もリレーションシップで協力し合いましょうと硬い握手でその日は失礼しました。

彼の奥様は昨年S国で行なわれたコンベンションにも参加されており、

我々とは現地でニアミスしていたのです。

「チョォ~ビックリ!」

来年のI国は一緒に行きましょうと約束し、また一人友人が増えました。

H氏の奥方はM国籍でM語・T語・C語・E語を話すそうです。

私も外国人に生まれたかった・・・・・・

がんばろぉ~~~~~~~~っと!

H氏の会社を後にして地下鉄に乗る為に移動。

W氏はまめな方で時間に遅れるよりは賢明な移動手段を取られたほうが良いと

公共交通機関の乗り方や乗り換え方を教えてくださいました。

滞在中もっぱら我々は公共交通機関を使用して移動し、

ホテルに戻るときだけ(暑い中クタクタになるので)タクシーを利用することにしました。

乗れば快適ですが、駅までの徒歩が頭にくるほど外が暑い為、

すぐに汗が噴出しジリジリと日焼けはするし機嫌も悪くなる。

そう考えるとこの国の人たちは実にたくましい。

いずれこの環境になれて晩年は住もうと思っています。

話を元に戻しましょう。

次に向かう目的地の近くで滞在中のスケジュール調整や打合せを喫茶店で行いました。

この喫茶店(昔日本にもあったような食事も出来る喫茶店)のお客様は全て日本人(それも旅行客ではなく在中されている邦人)でした。

氷を心配しましたがアイスコーヒーを飲んだけどお腹は壊さなかったので今回は大丈夫そうです。

前回は到着翌朝のサラダでやられました。

打合せも終わり明日会いましょうとW氏と別れてランチを取ることになりました。

通りを歩くと日本語ばかり、

日本企業などが多く集まった地域の為、鮨、焼肉、ラーメン何でもあります。

吉野家?と思ったらUSHIYA(牛屋)と書かれていましたが、オレンジ色のシンボルは間違いなく吉野家でした。

結局、小市民の我々はきつねそばセット(少し高い)を注文し安全な食を選びました。

次の訪問先にお邪魔する前に有名なシルクの店を覗き、男性スタッフの制服に合うネクタイを購入。

何処に言っても仕事が頭を離れません。

出発以後デスクは、大忙しらしくスタッフが総動員で案件に当たっているようです。

決済の無い時の事例相談は私が受け付けなくなって依頼、

少しオンコールが減り、買い物(?)やSPAなんて時間はすっかり旅行気分に切り替えて気分転換を図ることにしました。

さてさて、次の訪問場所へと移動。

ここも若手が活躍しており強い絆で結ばれた会社です。

相談事から質問などに対応し今までの経緯や多様な話に花が咲き、あっという間に1時間半も過ぎました。

また夜会いましょうと一旦失礼してホテルに戻りました。

人とお会いするのになれない気温、湿気や埃で一回シャワーを浴びないと外で食事も出来ない状況です。

面白いことに宿泊したホテルは市内へ向かうには対岸へ船で渡らないといけないので船に乗る。

これが結構風が気持ちよくて爽快です。

対岸のオリエンタルホテルで待ち合わせをし市内へ移動。

若手と食事会を行ないながら今後の展開、業務提携など仕事の話ばかりを行う。

「せっかく来たんだからこの市内で一番眺めのよいところに連れて行きましょう」

とお誘いを受けましたので御案内いただきました。

やたらEVが長く感じられる(何階建て?)ホテルへ移動しいざ、エントランスへ。

「高い!たっっっっかぁ~~~~~~い。」

「ほらほら、ここまでくれば絶景だよ!」

って言われても近くに寄れない自分です。

腰を引いて寄りながらも素晴らしい夜景を目の当たりにしました。

もし、落としたい彼女がいたらここはお勧めです。

一発で決まります!

私の隣にはかわいい男子がエスコートしてくれましたが、

どう、見ても息子にしか思えないようなかわいい男の子です。

私はすっかり酔っ払い、邦人援護活動の話をこの絶景の中、大演説していたらしいです。

記憶が・・・・・・・・

演説の隣では、私の上司のゼンマイのネジが切れ、イスには座っていました。

頭を垂れ、起こしても一瞬動きますがまた同じ姿勢に戻る。

それをいいことに若手相手に力説を延々としてしまいました。

この仕事を語らせると何かが取り付いたようなパワーが私に降臨します。

後日談で若手から、「すっごい!パワーだ」と

賞賛?

愚痴?

られました。

何とかホテルに戻り時は既に午前2時、明日も早い・・・すぐに就寝。

特殊出入国管理主管

「むかえびと」の出張1

随分このブログをサボってしまった。

今日、世間では「雛祭り」。

最近の人形は煌びやかではあるが顔に重みが無いように思う。

本日、東京は今年2回目の雪模様になる見込み。

先々週は、暑い、暑い東南アジアにて1週間仕事をこなして来ました。

昨年から予定はしていたが、デモや空港封鎖などにより渡航を見合わせていた。

しかし、現地より「いつくる?」のオファが掛かる。

それでもなかなか日本を脱出出来ずにとうとう年が変わり、

大晦日から新年が明けても業務を続けていた流れで、

シンガポールへの出張、

特殊出入国管理局企画の新年会、

3日間缶詰め状態の講習会と

予定がビッシリ詰まっていて、やっと出張の目途が付いたのが2月中盤である。

2月以前から現地到着後のスケジュール確認やらアポやらで毎日メールで連絡を取り合い、

何とかタイトではあるがスケジュールも確定し、

いざ出発・・・・・・・・・

いろいろな方々が毎月海外出張をしてる!とか

今月は2回も移動したとか話を伺うが、

元来、高い所が苦手な私はやはり機上の移動というのはかなりの体力を使うようだ。

いつもは搭乗後にすぐウエルカムドリンクでオンコールから開放される喜びを感じつつ、

発泡酒で一人乾杯を行いエンドレスに飲み続けるのだが・・・・今回はその元気もなく1杯で終了。

大きなため息と共に機体は上空へと飛び立った。

朝早い出発なので特に眠くもなく、本を読むには眼鏡を必要とするために、それもめんどくさい・・・・

仕方なくあまり面白くも無いオンデマンドDVDを見ながら時間を費やす。

私の後ろの席に搭乗しているご一行様方が向かう国への思いやら、

到着後のスケジュール内容に興奮されているのか・・・大きな声で酒も手伝い大騒ぎ!

同国人ながら非常に恥ずかしい思いをした。

注意しようとすると静かになるため時折、トイレに経つときにジッと睨みを入れたが全く効果なし。

よっぽど楽しみと嬉しさで仕方ないのだろう。

男性の楽園ともいわれている国だから・・・・・

団塊の世代のおじ様方に一言、

インターナショナルラインは邦人ばかりではないし機内は公共の場の為、

私語はボリュームを慎むよう道徳心を持ってください。

お願いします。

隣席の欧米人も顔をしかめていましたよ!!

さてさて、7時間半のフライトも終了しやっと新国際空港に到着。

Immigrationに向かうが、とにかく人・人・人。

人の多さに「中国みたい!」と驚きました。

更に周りから聞こえてくる言語は全て日本語!

「3年前と随分様子も違うなぁ~」と思いながら、

50分ほど待ってやっと自分の番となりました。

すると、イミグレ窓口のお姉さんがしかめっ面して

「出国のスタンプが無い!」

と喰い付いてきた。

あったり前ジャン!

「指紋認証してるから自国の出入国はスルーなのよ!」

と言い返してやった。

不思議そうな顔して何回もパスポートを眺めていたが、プイと顔を横に振り「行け!」の合図。

こんなに混んでいなかったら文句のひとつも言ってやりたかった。

その様子を私を先に行かせ実験台としていた上司は、何事も無いようにスルーで通った。

全く腹が立つ・・・・・

到着ロビーにホテルから迎えが来ていたので少しは機嫌も直り車内へ・・・

前回は空港でタクシ-を捕まえて交渉し、

何とかホテルに到着した思いがあるが今回は楽である。

すぐに冷えたオシボリと水をサービスしてもらい機嫌は直った。

でもこのドライバーもおしゃべりで到着するまでなんだかんだと話しかける。

申し訳ないが少しほっといて欲しい・・・・・・・

新しい空港は広く綺麗である。

到着階がなんとなくCDGっぽい感じ。

高速から見る町並みも随分ビルが立ち並びインフラ整備が進んでいるのが感じられた。

とりあえず、ホテルに到着した。

驚いたのはフロントに行かずにいきなり部屋に案内され部屋でチックイン手続。

フロントが込み合うのを避けるためであろう。

これは良いサービスだと思う。

だが、このフロント係りの女性はスパや食事の予約など営業を仕掛けてくる。

「今ならすぐに予約を入れられる!」という甘い言葉に迷っていると、

どんどん電話を掛け始めた。

「まぁ・・・嫌いじゃないから予約しちゃおっと!」

結局予約を入れて貰った。

16:00に部屋について16:30からSPA。

トランクの整理もそこそこにSPAへ向かった。

さすがに有名店だけあって内装もサービスも最高!

至福の時間を頂きました。

この日はベイサイドで夕食を取り明日からの準備に取り掛かる。

明日は早い!

9:00には出発である。

夜の街に出る元気もなくおとなしく就寝しました。

特殊出入国管理主管

「年末も年明けもソウカンだぁ」

新年明けましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い申し上げます。

早いもので年明け既に一週間がたった。

昨年末は、帰国出国ラッシュで最終は大晦日に出発された方を見送って年が明けた。

この最終で見送った方の手続きのねじ込み方は、半端ではなかった。

まさに2008年を有終の美を飾るに相応しかった。

年内のフライトとして予約のタイムリミットが迫ること90分前にオーダー!

あちらこちらへの連絡を千手観音のような手さばきで連絡を取りつけ、

何とかそれで年内フライトがかなった。

海外の仲良しプロバイダーに現地国で受けていただくようにお願いをし、

そのおかげで全ての業務はスムーズに進捗した。

特殊帰国者となってしまった通常帰国者は年末を自宅で過せるようにと空港へ向かう車中で急逝された。

その後すぐにこの特殊帰国者となった方の関係者と連絡が取れ、搬送開始という所でキャンセルとなった案件であった。

「地元の葬儀社に全て手配をかけたから・・」というのが理由であり、

「できるのかなぁ?」

と半信半疑の中この件は終了となったはずの案件である。

しかしその後、2日も経たない内に依頼を受けた葬儀社が、

どのような書類を準備していいかをクライアントに尋ねてきたらしく、

クライアントも「葬儀屋さんができるといったのには自信があるからでしょう?」

と一蹴したらしい。

しかし関係者はその葬儀社へ任せても無理だと判断した様子で、

我々にに再依頼が入りました。

しかし、ご本人の防腐処置は?

書類は?・・・・・・・・・・・・・

書類と防腐処置終了後からが我々の役務として線引きが行われました。

が、

防腐処置が終了したという翌日、関係者から連絡が入りました。

「葬儀屋さんが、遺体を預かってくれたが、再防腐処置を行なったほうがいいとアドバイスを受けました」とのこと。

いやぁ~~~~~これには困った。

葬儀屋さんも搬送費と安置料では、腹も立つでしょう!

再防腐処置はクライアント側より葬儀屋さんへご依頼いただき、

「最初の線引きの通りの役務を我々がはお手伝いしましょう」と話が付き、

再防腐処置は行なわれたのでした。

葬儀屋さん曰く、

とめどなく流れ出る防腐液や体液の漏れが酷く、

薬剤で10kgも特殊出国者は大きくなっていたらしい。

特殊出国者の「ご機嫌取り」の準備が進む中、

私は書類を作成しながら現地とコンタクトを取り、出国日に併せたアレンジを行なった。

我々のスタッフがこの特殊出国者を葬儀屋さんにお迎えに行ったときに報告の連絡が入った。

メイクがお粗末・・・

写真と別人・・・

関係者もあんぐり・・・・

結果、メイキャップを我々でやり直して欲しいと頼まれた。

現地家族をこれ以上落胆させたくないので

「がってんだぁ~!」

とスタッフは請負い、貴所した安置場所ですぐに再メイキャップを行なった。

最初から「特殊送還」のプロに任せておけば、全てスムーズに進むことをお忘れなく!

後日談として、本件はお客様とお話した際にもお客様側の「反省点だった」と後悔なさっていました。

2日間時間を損失したことは反省点の一つだと・・・・・

「あなた方に任せてからの段取りの早さと堅実な業務内容には驚いた」

と、労いのお言葉を頂きました。

葬儀屋さんは葬儀のプロ!

であり、

我々は送還のプロである!

今年もがんばろう!

今年初めはA380に乗ってシンガポール出張だー

といってるうちに又、母国への送還です。

今回は、北が付く南の地方からのご依頼です。

行政や公共機関が全てお休み中の御逝去の為、

お体のケアしか動けませんが、

「早急に取り掛かりましょう」と正月返上での業務です。

関係者も経験がないので・・・といいながらも海外に各拠点を置かれるような企業サンなので

こちらの説明も御理解が早く、こちらのリクエストにも即対応くださり

次々と業務が進んでいくのでした。

信頼いただいていると言葉のキャッチボールが早くミスがないのが本当に助かります。

感謝!感謝!!

しかし案件キーパーソンの方は、弊社に任せ安心もしたこともあり

「じゃぁ、私は先に特殊出国者の母国で待ってますね!」

と一足先に渡航していきました。

年明けの行政申請がまたもやったことが無いと「威張ってるお役所!」

九州スタッフに激を飛ばし、90分も掛かったが何とか手続完了。

すぐに空港へ向かわせ手続開始。

そこからが本店の担当となり、当該大使館との交渉。

日本語が通じない為全て外国語での交渉。

担当官が良い方でよかった!

認証もスムーズに行き全てクリア!

我々の用意した書類に眼を通した大使館曰く(以前の担当官が知らぬ間に代わっていた)、

「コーコま~でぇ、カーンペ~キにー、書類をぉぉぉ~作るのーデスかぁ?(外国語)」と驚かれていたそうな・・・

ちなみに葬儀屋さんは、日本語の書類しか持参しないので大使館の処理が大変らしい。

これからも宜しくね!と握手されたとスタッフの報告。

翌朝、特殊出国者は無事に母国へ到着したのでしたー。

明日からシンガポールへいってきまぁ~す。

特殊出入国管理主管

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